明るさの感覚は人それぞれなんだなぁと改めて思った話

 まさかの隔日更新ですが、多分たまたまですよ……。

 先日聞いた話ですが、夫実家ではキッチンに立つ時にベースライトや手元灯などを使わないそうです。手元灯とリビングの照明の間にもう1つカウンター用の照明もあるんだけどそれも使わず、リビングのシーリングライトのみで生活しているとか。ええー、暗くないのかなぁ。

 夫実家のLDK、LとDは明るいです。壁紙は白だし、床も明るめだし、建具も床と同じ色合いだし。そしてKはどうかというと、半分明るくて半分暗い。うちと同じく北側にキッチンがあって、違うのは勝手口の代わりに窓があったり東側に勝手口に続く窓付きのドアがあるという事。だから、やっぱりコンロ側は暗いと感じるんですよ。窓無いからね。ただ、幅はうちより短いので、ベースライト1灯のみでも大丈夫だろうなぁとは思います。しかし夜にキッチンの照明を使わないどころか料理中も手元灯使わないとなると、いやそれは暗いでしょうとツッコミたくもなるわけで。まぁ夫の話なので、たまたま使ってないだけとか、使う時は使ってるんだよとか、食い違う部分もあると思うのだけど。思いたいのだけど。

 そんなわけで暗い暗いと言うのは私だけなんだろうという事実を再確認したのです。そりゃあ人間は均一な機械ではないのだから、当然でしょう。とはいえ、夫実家はキッチンの照明を使わずとも平気なのは何故なのか。それは旧家屋に原因があるのではないかと思った次第です。

 思い返せば、旧家屋の台所は暗かったです。私が「暗い」と言うのは単に薄暗いだけのケースも含まれているんだと思います。今のキッチンだって昼間は薄暗いだけ。だけど、旧夫実家の台所は薄暗いんじゃなくて本当に暗かった。北側に窓があったって目の前が小屋だったり土手だったり物がゴチャゴチャだったりして鬱蒼としていたので、台所全体を明るくするような光は差し込みませんでした。ああ思い出すだけでゲッソリとしてきた。真横の扉はダイレクトに浴室に繋がっていて脱衣所なんか存在しなくて、浴室内にある洗面台は古びたステンレスのシンクだけ、シャワーはなんかもう私が子供の頃に見たような代物で壊れてるとか言ってたような気が。浴室の隣のドアを開ければ土間で、ああもうこれ以上は思い出したくもない。トイレの事なんか思い出したくもない。ああ! トイレに! トイレに!

 という正気の沙汰じゃないような記憶が蘇るんですが、それら全てが暗かったのです。水回りがオール北側。暗い。さすがに真っ暗とまでは言わないけども、暗い。暗い。あと何回「暗い」と言えば気が済むんだ。でも本当に暗かったのだから仕方ない。築50年ほどの旧家屋、水回りに関しては一度も本格的なリフォームなど施したような形跡など無いし、少なくとも夫が子供の頃から変わっちゃいない、つまり30年は確実にリフォームのリの字も無かった。つまり、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、その暗さで過ごしてきたわけです。それが普通という感覚もあったのでしょう。少なくとも夫はそうだったのだろうというのが分かります。まぁ、だからこそ照明を決める時に

だけど、その場 にいた私以外の全員が「いやーこれくらいで十分じゃないですかね」と言うんです。隅っこが少し薄暗くても気にならないと。違うそうじゃない、全体的に暗いの。だけどやっぱりそう思うのは私だけ。男性陣VS女性陣というのでもなく、A社と私達の見解の相違というのでもなく、暗いと感じるのは私だけ。夫も夫母も感じない。P子母はその場にいない。とにかく、あまりに孤立無援で四面楚歌な状況なので自分の目が悪いのかと心配になるくらい、私だけが納得いかない。いやでも本当に暗いんだよー信じてくれよー。

という事態になったんだろうなと。そりゃあの台所に比べたら明るいわ。ベースライトだけでも明るいわ。その上、A社が「十分じゃないですかね」なんて言ったら、それ信じるわ。信じないのが私だけってのも納得するわ。当時それに気づいていたら、少しはストレス減ってただろうに。本当に四面楚歌な気分だったから。

 そういった背景のおかげで、リビングの照明のみでも平気だというのはそれなりに理解出来ました。でも、だったらリビングと手元灯の間にあるシーリングライト、無くてもよかったんじゃない? と、今更思ってしまうのです。リビングのシーリングライトをもう少し大きくするだけでもよかったのでは……ホント、今更ですけどね今更。

 

(ランキングに参加してます。ロクに更新しないけど)

 

にほんブログ村 住まいブログ 二世帯住宅へ
にほんブログ村