今一度、自分の本心を探る

 本心なんて簡単。夫と二人だけで暮らしたいです。同居はしたくないです、夫実家とも自分の実家とも。好きとか嫌いとか気が合うとか合わないとか、そういうことを除外しても思うんですよ。核家族がいい、ただそれだけ。

 核家族の弊害についていろいろ言われていたりもしますが、それなら逆だって弊害はありますよね。だけどそういうものは「そういうものだから」と片付けられ、同居するのは当たり前・長男だから当たり前と言われ、核家族はデメリットがあるんだ一緒に住むべきなんだと言われても困ります。それでも老後の親の面倒を見なければいけないのだろうという気持ちが夫婦それぞれにあるからこそ、今こうして3世帯同居の話になっているんですよね。

 だけど本当は同居したくない。親には一緒に住んでくれとか戻ってこいとか言われて、どうすればいいんだと頭を抱える。とても悩ましい。理想は近距離別居で頻繁に様子を見に行くことだけれども、別々の土地に3軒家を建てるなんて財力はありません。1軒ですら怪しいというか無理なのにね。ホントにね。

 ものすごく身勝手な意見かもしれませんが、同居をするにあたって私は自分の人生を犠牲にしてしまうのではないかという恐れを持っています。今まで大した社会貢献もせずに地べたを這うように生きてきて、それで何の犠牲が生じるんだよとは自分でも思うんですけどね。別に手伝いなどといったものを犠牲と感じているのではなく、ああ、何と表現すれば適切なのか分からないのだけど、いろいろなことに精神的に囚われてしまうのが恐いのです。「精神的な自由」を奪われてしまうのが恐いのです。

 同居しても適度な距離感で上手く機能するケースもあるとは思います。だけど、夫実家(どころじゃなくて親戚一同)の夫に対する期待というか執着というか依存というか、とにかくそういったものが異常なくらい強いのがどうしても受け入れられません。加えて私に対して「夫に付随する嫁」というような空気が漂っているのも耐えられません。つらいです。

 だからこそ、どうしても夫実家で同居しろと言うのなら別棟がいいと主張してきたわけです。それが無理なら、せめて完全分離の二世帯住宅。それに加えてP子母とも同居となるのだから、P子母ともあまり干渉しないような間取りを考えなくてはいけないわけで……ああ、どうしてこんなに面倒なことばかりなんだろう。

 とはいえ、あんな夫伯母達に「精神的な自由を奪われてしまうのが恐い」なんて訴えたところで「なーに甘えてんだ!昔は(以下延々と自分語り)」となるのは明白です。「人は人、自分は自分」という考えは無いんでしょうか。無いんでしょうね。だから完全同居が当たり前と思って、「玄関と水回りは一つでいいの!」とか口出してくるんでしょうね。げっそり。

 

 ああそうだ。今回のテーマは本心でしたね……夫伯母達が鬱陶しくて嫌です、この上なく

 

 って別に今更ですかそうですか。先週末は夫の急な休日出勤で逃れられたものの、今週末は逃れられそうにありません。嫌だよ、行きたくないよ。

 

※2021年3月 加筆修正