そして話は動き出す……か?

 平日は話が一切進まず、週末になると一気に話が進んで情勢が変化します。おかげでブログが追いつきません。ええとどこまで書いたんだっけか……

 

(ブログを読み返す)

 

 あ、そうね。計画が白紙に戻ったので、とりあえず別の敷地(畑)にP子母と私達夫婦が住むような家を建てるって話だけはしてましたね。その土地の中に市町村の境界線が走ってて、若干面倒臭い土地だというのは書いてましたね。

 別の敷地に建てると、同一敷地内に家を建てるよりプライバシーが保てるというメリットがあります。私にとってはかなりポイント高いのですが、それに隠れてかなりのデメリットもありました。そのことを一応最初にP子母にも話していたものの、あまり意に介さない様子だったのでとりあえず話を進めていたのです。

  • 家の前の道路が狭い(車がすれ違えない)
  • 近くに川が流れている
  • 道路より土地のほうが低いので家の中が丸見え
  • 境界線を越えないように家を建てるとなると、かなり前に出さないといけない
  • つまり、余計に道路から家の中が丸見え
  • 結構高い土手が隣接している
  • 擁壁の必要は無いものの、草刈りは必要
  • 土手の向こう側のお宅からこちらの挙動が丸見え

適当にデメリットを挙げるとこんな感じです。一番の悩みは道路が狭いこと。運転が得意じゃないので満足に車がすれ違えない道路が苦手というのもあるんですが、抜け道に使われるので結構なスピードで走り抜けていく車が多いのも嫌。冬場は凍結して、脱輪するだけならまだしも落ちている車もちらほらと……。

 実際にA社の社長に土地を見てもらったところ、やはり難がある土地のようでした。かなり盛り土をしないといけないらしいし、入口も拡張しなければいけない。それよりも厄介かなと感じたのは、土手の向こう側のお宅だそうで。行政の人と勘違いされ、(こちら土地の方を指差して)色々と要望を言われたとか。正確にはこちらの土地ではないので行政に言ってほしいのだけれども……って、いやだから行政の人と勘違いされたから言われたんだってば、ねぇ。とにかく、土地絡みや人絡みのトラブルを山ほど見てきたであろう社長は、なんとなくそういった雰囲気を感じ取った様子。実家近辺が隣人トラブルの宝庫なだけに、そういったリスクはできるだけ避けたいものです。うーん。

 そして社長曰く、「やはりそちら(夫実家)の敷地内に家を得策なのでは」ということでした。夫実家もどうにかしなくてはいけないのであれば、というのであれば敷地内の方がと……確かに、ねぇ。「長男」という呪いのようなものが解けないのであれば、逃れられないですよね。夫は「別の敷地に家を建てて実家には戻らない」けど、「実家もどうにかしないといけない」と言います。具体的にどうするのかという問いには全く答えられません。

 だったら夫実家の敷地の端っこを宅地に変えて、そこに家を建てる手段だってあるんだよ? と、私は妥協案を出したんですよ。完全にくっついた二世帯住宅は無理でも、敷地は広いから離れていればどうにかなるかは知らんけどどうにかこうにかって。だけど夫は別の土地のほうが私達親子がストレス無く暮らせると言って意見を変えず*1、P子母もそっちのほうがいいと言うので……書いているのが私なので自分の意見を書くと正当化しているような感じがして何だかなとは思うものの、実際にそんな状況なのだからどうにもこうにも。

 別の敷地に家を建てるのは私も賛成だけど、夫実家とは全く無関係なら賛成であって、そこに建てるのは何だか気乗りしない。というのが正直な気持ちです。というか、本当に正直な気持ちは書かないよ。書いたらこのブログの存続自体が危ぶまれるからね。

 そんな折、P子実家にある庭木をA社で預かってもらうために来てもらったんですが、P子母を現場に連れて行って実際に土地を見せてみたらしいです。そしてP子母の感想はというと、「ちょっとあれは……」だそうで。道が狭いと。土手が急で落ちそうで恐いとか、他にも色々言っていたけど失念。私、散々言ってましたけど、お分かりいただけましたか。百聞は一見に如かずですね。話を聞かないP子母は特にそう。

 その後、夫実家の敷地を外から見つつ社長の説明を聞いたら、「こっちのほうがいい!」と完全に方向転換。P子母は非常に流されやすい性格なのであまり信用していないのですが、これで夫実家の敷地内に家を建てるという選択肢の可能性が出てきました。

 もうホント、どこに向かってるんでしょうね。そしてどこに着地するんでしょうかね。とはいえ、最初の頃よりは話が固まってきた気がします。最初なんかゆるふわでしたから。ゆるゆるふわふわ。

 

※2021年2月 加筆修正

 

*1:まぁ、ストレスは親子で暮らすことのほうにも山のようにあるんだけどね。と2021年の私は書き残す。